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講義録一覧
神田雑学大学 平成19年5月11日 講座No358
目次
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はじめに
望郷
天井桟敷の人々
美女と野獣
禁じられた遊び
恐怖の報酬
灰とダイヤモンド
自転車泥棒
道
第3の男
1. はじめに
今日でこのシリーズも最後になります。評論家に言わせますと「終わりよければ全て良し」と言いますが、今回の映画ラストシーンシリーズ、日本編、アメリカ編―1、アメリカ編―2、そして今日のヨーロッパ編と4回で〆て40本くらいになりますね。今まで過去日本映画、洋画と100何年間で製作されてきた沢山の映画の中で、40本ということは全く塵のような少ない数字です。今日は9本選びました。今日最後までご覧いただきまして、終わりよければ全て良しという具合で、この企画が楽しいということであれば、まだまだ数万本の作品がございますので、場所を新たに企画する機会が持てたらと思います。
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2. フランス映画から5本
最初のラストシーンは1937年、昭和12年ジュリアン・デビビエの名作であります「望郷」、別名「ペペル・モコ」であります。当時フランスの植民地だったアルジェリアの首都アルジェにはスラム地区がありまして、ここをカスバと呼んでいました。アルジェリア語で砦という意味だそうです。そこで繰り広げられますのはモコ、モコというのはアルジェリア人ということを表現しているそうですが、ペペル・モコの悲壮な物語でございます。1830年にアルジェリアはフランスの植民地になりました。
第1次大戦後世界のあちこちで植民地の独立運動が始まりまして、過酷なテロ活動が繰り返されておりました。フランスのドゴール大統領は独立推進を強く支援しまして、そのために暗殺されそうになったりしたことは有名です。ついにアルジェリアは1962年の7月、独立します。凶悪犯ペペル・モコがここを根城にしまして、隠れ家にしたなんていうのは、全く今は昔の物語であります。日本人は当時の昭和12年ごろ、こういうエキゾチズムを非常に好み、酔いしれたのです。
アルジェリア警察のシェリマン刑事はこのカスバに逃げ込んだパリの凶悪犯ペペル・モコをおびき出す機会をうかがっていましたが、たまたまパリの金持ちの若いメカケ、ギャビー、これはミレーユ・バランという美人女優が演じておりましたが、彼女がこのカスバの観光に来まして一目でペペを愛し合うようになります。パリの匂いをふりまくギャビー、ぺぺもメトロの匂いがするなどと熱中します。シュリマン刑事はこれを餌に、ペペがカスバを出て波止場に現れるのを、要するに町に下りてくるのを、カスバの情婦イネス、ペペの情婦ですね、彼女を利用して罠を作りまして成功します。
(ビデオ上映)
去り行く船の甲板に現れたギャビーを見てペペは「ギャビー」と叫びますが、折悪しく汽笛の音にこの叫び声がかき消されて、ギャビーは耳をふさぎ、ペペの声は聞こえない。これはもう昭和10年来からの名ラストシーンでございます。 このジュリアン・デビビエという監督はギャバンを4作使っています。ギャバンはデビビエ監督とは息のあった、戦後もずっと第一線スターであった人です。このカスバの情婦イネスを演じます女優は、エキゾチックなメークをしていますがフランスの劇団の俳優でありまして、戦後も田園交響楽などで良い味を出している中堅女優さんです。
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次は同じくフランス映画の
天井桟敷の人々
、1945年発表、マルセル・カルネ監督です。シナリオと題詞はフランスのジャック・ペルベール、この人は当時のフランスの有名な現代詩人ですがこの人が作っています。音楽はジョセフ・クロスマーと組みました。色々なスタッフの中にはトルネルなどというユダヤ系のスタッフがいるのですが、マルセル・カルネはナチスに遠慮しまして、匿名で活用しています。マルセル・カルネが撮影に着手しましたのが1943年8月、公開が開放直後の1945年、つまり2年がかりの作品であります。
ナチスはフランスの占領につきましてはパリのような強い圧迫をしたところと、ニースなどを中心にした半占領地区と称してわりに緩やかな統治をしたところと2地区があったわけですが、マルセル・カルネはこの半占領区でこの作品を2年がかりで作ったのです。3時間15分の長尺物でございまして、第一部は「犯罪大通り」、第2部が「白い男」の2部作になっております。時代は1840年、見世物小屋が軒を並べるパンドルー地帯一帯が舞台となっています。物語はヌードが売り物のガランス、これはアルレッティという名女優が演じています、パントマイム芸人のバティストこれはジャンルイ・バローという当時フランスきっての名劇団俳優です、この二人の悲恋が軸になっています。多彩な登場人物はバルザックの人間喜劇を連想させるとまで言われており、大変多くの色々な人が登場してまいります。
(ビデオ上映)
これがジャンルイ・バロー、この女性がアルレッティです。ヌードを売り物のガランスにかかりあう男たちには多士済々で、例えば劇団の俳優ルメートル、やくざの親分ラスネール、社交界のスターモントレー伯爵、これは全部当時の実在の人物をモデルに使っているのだそうです。しかし真実ガランスが心を傾けた男はパントマイムの芸人バチストだったのであります。2人はなかなか結ばれないうちにバチストは一座の座頭の娘ナタリーと結婚しまして一子をもうけます。
その後2人はようやく結ばれるのですが、ナタリーは夫と別れてとガランスに懇願します。カーニバルの賑わいで大雑踏のなか、ガランスは何も言わないで去っていきます。バチストは狂気のように彼女の後を追いますが、彼女は2度と再び彼の前に戻ろうとしません。この雑踏の中のラストシーンも評判になりました。妻のナタリーを演じているのはマリア・カザルス、この4年後オルフェという作品に女王の役で出ております。しかしあの時代に良くこれだけのモッブシーンを作ったと感心させられますね。マルセル・カルネはこれですっかり大作家になりました。この映画はFINが出ませんで、このように幕が下りて終わるという洒落た終わり方になっています。
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次は1946年ジャン・コクトー監督の
「美女と野獣」
をご覧にいれましょう。ジャン・コクトーというのは今世紀フランスで最も高名な詩人の一人であります。かれはポエジーというのは夢、奇跡、超自然、そして死などに近い世界だと歌っています。また古典と新風、古典と前衛、の形式をともに受け入れ、現実と夢、秩序と無秩序、真実と虚構を結合させて、それらの優雅な結合を図ろうとしたと言われています。
才気あふれるモダニストでありました。コクトーは詩ばかりか小説も書き、演劇にも活躍しましたが、若い頃は前衛映画にも手を出していました。ド・ボンモン婦人の作によりますこの古いおとぎ話をコクトーは、才気溢れる映像処理で大人のポエジーとして充分楽しめるものにしてくれています。1948年、思えばフランス映画が大戦後日本に再輸入が開始された第一作目がこの作品でありました。
(ビデオ上映)
昔々あるところに年老いた商人がおりました。自分の船が沈んで破産寸前になったのですが、一隻だけ無事だったという知らせがあり、喜んで、港に出かけることにしました。一人の息子と3人の娘がいましたが、上の2人の娘は「お父さん宝石や衣装を沢山買ってきてね」とねだりますが、心の優しい末娘のベル・ヒュッテル、これはジョゼット・デイが演じております。彼女は「お父さんバラの花を一輪持っていてください」と申します。結局残った一隻は債権者の差し押さえにされていましたので、彼はなにものも得ず、なにものも買えず、すごすごと帰るのですが、その途中道に迷いまして、見知らぬ古城に迷い込みます。
末娘の頼みを思い出してそのお城の中でバラを一輪手折るのですが、そこに突然野獣が出て来まして、命を助ける代わりに娘の一人を身代わりに出せと言われます。末娘のベルはお父さんの身を思いまして、野獣の城に敢えて一人で行きます。町の乱暴物のアグナイ、これはジャン・マレーが演じますがが、ベルのお兄さんとお城の宝物を奪おうと飛び込んで来ますが、結局は野獣に殺されます。そして野獣は・・・。ジャン・マレーはこの野獣と町の乱暴者の2役を演じているのです。
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次の4作目は1952年ルネ・クレマン監督の作品
「禁じられた遊び」
であります。これはフランソワ・ボワイエという人の原作なのですが、1940年6月パリ方面から逃れて行きます途中で、ナチスの空襲に会いまして両親と愛犬を失った孤児5歳のポーレットは、死の意味もまだ分らない少女です。禁じられた遊びというのは子犬や昆虫などのお墓と十字架遊びをすることなのですが、大人たちは人を殺しては十字架を作る。それは禁じられてはいないではないか。ルネ・クレマンの真の訴えはそこにあるようです。この作品を評判にしましたもう一つは、ナルシソ・イエペスのギターが悲しくそしてとても痛ましいんですね。皆さんこのメロディよくご存知だと思います。
(ビデオ上映)
避難の旅の途中孤児になって農家の少年ミシェルと家族に拾われ、ミシェルはポーレットが抱いている子犬ジョーの死体を埋め、十字架を立てます。そして小さな動物や昆虫の死骸も埋めて、2人は何本も何本も十字架を立てます。やがて赤十字から調査が来まして、ポーレットは連れて行かれます。雑踏の中でミシェルと呼ぶ女の声に気付いたポーレットは「ミシェル、ミシェル」とつぶやきながら雑踏の中をさまよい歩いていきます。名子役ポーレットを演じましたブリジット・ホッセイは成人しましてアラン・ドロンなんかと2本か3本演じています。ミシェルを演じた男の子は成人して俳優にはなりませんでした。
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ではフランス映画の第5作、1952年アンディ・ジョルジュ・クルーゾーの
「恐怖の報酬」
です。中南米のある国の、ちょうど人生の吹き溜まりのような小さな町、この町を基地にしています石油会社の職員くらいがやっと人並みの生活をしている。あとは世界中からの食い詰め者がひどい暮らしにあえいでいる、そんな町であります。前作「情婦マノン」この後の「悪魔のような女」同様に監督のアンディ・ジョルジュ・クルーゾーは非常に粘着力の濃い、人物に対する密着描写を基本にした、圧倒的な恐怖とサスペンスを生み出しております。
山の奥地にある油田が火事になりまして、その消化のためには大量のニトログリセリンをこの町の倉庫から現地に運ばなければなりません。動揺、ショック、温度変化でニトロはたちまち爆発します。この運搬を引き受けたのは2台のトラックで、それぞれに2人の乗員で合計4人であります。第一の難関はいま映っております狭い山道、急角度に曲がっているためにUターンしなければなりませんが、そのがたがたの足場をどうやって越えるかではたはらさせます。第二の難関は道を塞いでいる大きな落石があって、ニトロを爆発させることで除去するのですが、このあと一台のトラックは何かのショックで爆発し、二人の乗員は跡形もなくなってしまいます。
第3の関門は、先に爆発しました一台のトラックのためにちぎれた送油管から流出した重油が沼になりまして、泥んこの重油の沼です。足を滑らせて転倒したジョー、これはシャルル・バレルという名優が演じております。トラックはいったん止まらせるともう動けなくなりますので転倒したジョーの足の上にトラックを走行させていくマリオ。イヴ・モンタンですね、そしてジョーは息が絶え、マリオ一人が目的地に到達して高い報酬を得るのですが、さてその帰り道というのがこの恐怖の報酬のラストシーンです。イヴ・モンタンはこれまでも何本かの映画に端役で出ていたのですが、この作品ですっかり役者づきまして、活発なシャンソン歌手としての活動をしながら、ハリウッドまで呼ばれる国際的な俳優になりました。
(ビデオ上映)
かろやかな楽しい音楽とともに弾んで坂道をダンスのように運転しながらで降りていくトラックのマリオ、そして勢い余って最後に崖から転落して炎上するトラック、サイレンの音とともにFinというラストシーンになりました。
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3.ポーランド映画のラストシーン
ポーランドにも大変な名監督がおられます。アンジェー・ワイダです。後年話題になりました連帯のワレサ書記長と親交があり、思想も同じようだった方です。このアンジェー・ワイダが1958年に製作した
「灰とダイヤモンド」
をこれからご覧にいれます。アンジェー・ワイダはこの前1954年に「世代」という作品で大変評価が上がりました。1957年には「地下水道」という名作を作りました。「灰とダイヤモンド」と「地下水道」はワルシャワ反乱の三つの時期を描いております。
「灰とダイヤモンド」の時期はドイツ軍は敗北寸前ですが、ポーランド国内ではまだ幅をきかせておりました。ポーランドでは大戦の最中から終わりにかけて、ソビエト軍とポーランド国民にはある確執がありました。というのはソビエト分は、ポーランドのレジスタント活動に対して非常に冷ややかなんですね。この時代のポーランドのレジスタンスの活動が危機寸前ということになっても、手助けをしないのです。
これに対してポーランドのレジスタンスをしていた人や同調していた人たちは、ソビエト何するものぞということになり、反ソビエトという派が出来、これがソビエト派と対立いたします。反ソビエト派は共産党から来た主だった人たちの暗殺を試みるわけです。この「灰とダイヤモンド」はその若い暗殺者の話でございます。
アンジェー・ワイダは自由を束縛したのは誰かということを描いているのですが、我々としては歴史の過程では分らない部分もあるしまた分る部分もあるのですが、ポーランドの映画を見る場合はこういう背景を承知してみないと何がなにやら分らなくなってしまいます。
(ビデオ上映)
反ソビエト派の暗殺者マチェフは、目的の暗殺相手を誤って、違う人を撃ち殺してしまいます。狙っていた相手はソビエトから来た共産党の地区委員長であり、上司からは再度暗殺を実施するように指示されます。それに成功したマチェフはもうこんな仕事は止めだ、はやくワルシャワに帰って普通の生活に入りたいと願っております。ホテルのバーで働きますクリスティナと親しくなりまして、2人は古い墓所に入りまして、壁の碑文を発見します。「残るはただ灰とカオスのみ、灰の奥深くダイヤモンド横たわり」とある碑文、この映画のタイトルはここから来ております。
マチェフは拳銃を棄てて、ワルシャワに行こうとホテルを出ます。そして監視の兵に見つかって後ろから撃たれ重傷を負います。白い布がはためく洗濯物干し場からゴミ棄て場によろめきながら逃げるのですが、そこで犬のように手足を縮め、痙攣しながら息絶えます。ワルシャワに行く列車の音が響くエンドです。ちょっと余談になりますが、このマチェフを演じましたズビグニエフ・チェブルスキーは、当時偶然なんですが、ハリウッドをにぎわせましたジェームス・ディーンと風貌や体つきが似ているということで結構評判になったようです。たしかに似ていますね。
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4. イタリア映画2作
最初は1949年ですから昭和24年、ビットリオ・デシーカの
「自転車泥棒」
を見ていただきましょう。戦後イタリアンネオレアリズムで鳴らした作品群の中でこの作品が典型的なタリアンネオレアリズムと言われるものです。その第一の理由は敗戦国イタリアの悲惨な世相をそのまま写し取っているということ、第二の理由はそれが極めて簡潔なプロットによって組み立てられているということだと思います。撮影は全て実景、セットではありません。
室内までにもカメラを持ち込んだ撮影方法をとっています。出演者もほとんど素人です。主人公を演じます父親役は当時実際の電気工であった人をスカウトしました。その子供役の少年、エッツオ・スタイオーラと言いますが、これはデシーカが町で見かけて、どうかということで呼んだ少年、名演技ですね。デシーカは映画に必要な「ローマの日常感」を出してみたかったと言っております。
(ビデオ上映)
失業者にあふれるイタリア、ローマ。主人公はやっと仕事にありつけます。町のポスター貼りです。ただし自分の自転車でという条件があります。家に帰ると妻はものも言わずにベッドのシーツを剥ぎ取って質屋に走り、その代償に先に預けていた自転車を質屋から出します。しかし彼は初日にこの自転車を乗り逃げされてしまうのです。子供と2人で古自転車市など探すのですが、盗品は見つけられません。絶望のあまり主人公はやけになり、他人の自転車を盗むのですがすぐ捕まって袋たたきにあいます。父と子は肩を寄せ合って黄昏の町の中へ消えて行く、
ストーリーはごく単純なのですが、感情表現がたいへん深いものがあります。かつて「風とともに去りぬ」を作りましたアメリカの大プロデューサー、セスジニックが「俳優のケーリー・グラントを当てよう、制作費を全部出そう」とまで言ったんですが、デシーカは「ケーリー・グラントでは駄目だ、ヘンリーフォンダが欲しい」と言っているうちに破談になり、結局素人を使うことになったそうです。
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イタリア映画、次は1954年製作のフェデリコ・フェリーニ監督で
「道」
です。ジェルソミーナというサブタイトルがついています。フェデリコ・フェリーニは自ら「僕が最も愛着を感じている作品で代表作と言ってよいだろうとこの作品を言っています。
これが発表された時は非常に象徴主義を出しているということで、ネオリアリズムの左翼の評論家たちからは多くの攻撃がなされました。しかし日時がたてばたつほど、詩的な単純さは一個の作品としての純度の高さを明瞭に際立てております。イズムを超えた名作として評価するべき作品だと思います。
主役の野卑なザンパノを演じたアンソニー・クイーンの獣性、それからフェデリコ・フェリーニが愛妻ジュリエッタ・マシーナのために企画したこのジェルソミーナの無垢な魂の覚醒、この二人のキャスティングだからこそ、フェリーニ自らが、私の代表作と高言出来るものになったのだと思います。これもフェリーニに対してハリウッドから、バートランカスターを主役に、そしてジェルソミーナの役にシルバーノ・マンガーノで脚色したらどうかという資本家が現れたのですが、フェリーにはとうとうアンソニー・クイーンと愛妻ジュリエッタ・マシーナのキャスティングで通しました。
(ビデオ上映)
少し頭が弱い娘ジェルソミーナは大道芸人のザンパノ、アンソニー・クイーンに一万リラで買われます。これは子供が多いお母さんが、口減らしのために頭の弱いジェルソミーナを売ってしまうんですね。オート三輪で寝泊りしながら大道芸で日銭を稼いで暮らしです。ある町で2人はサーカスの一座に入りますが、その仲間の中に綱渡りのイル・マットという青年とジェルソミーナは知りあいます。ザンパノはこのイル・マットが虫が好きませんで、とうとう彼を殴り殺してしまいます。それ以来ジェルソミーナはふさぎこみまして,泣いてばかりいる。
それに手を焼いたザンパノはとうとうある日眠り込んだジェルソミーナを置き去りにしてそっと去っていきます。それから数年後、ある町でジェルソミーナが愛していたメロディをザンパノは耳にします。歌っていた女に聞くとラッパを吹いていた女が歌っていた。そしてその女はある朝死んでいたと聞き、その夜ザンパノは泥酔し天を仰いで叫びます。「一人ぼっちだ。俺には誰もいない。」ザンパノが号泣するこのシーンは名ラストシーンと言われています。
私がこの場所でこういう映画のラストシーンを見直そうという企画があるのだとある友人にいいましたら、「道」は絶対入れろ、その友人の曰くは「道のラストシーンは」は古今ベスト5に入る素晴らしいラストシーンだと言われました。私も今の海岸の場面は映画史に残る良いラスシーンだと思います。アンソニー・クイーンもこれまでは脇役やインディアンなんてやっていたのがすっかり国際的な映画俳優になりました。
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5.英国映画 第3の男
いよいよ最後ですが、最後にあまりにも有名なラストシーン、イギリスのキャロル・リード監督1949年の作品「第3の男」を見てこの講義のおしまいにいたしましょう。
イギリスの映画界においてサスペンスの新進として1947年の作品「邪魔者は殺せ」で国際的な注目を浴びましたキャロル・リード監督、ついで1948年グレアム・グリーン原作の「堕ちた偶像」で、キャロル・リードは確固たる評価を獲得しまして、巨匠といわれるようになりました。
作家のグレアム・グリーンとの付き合いも深まりまして、かれが映画用にストーリーを書き下ろしたのがこの「第3の男」です。グリーンは「僕はこれを読ませる為に書いたのではなくて見せるために書いたんだ」と言っています。そしてこの映画の映像的感覚の素晴らしさは、全編を通して感心させられるのですがなかんずくこの作品で忘れられないのが、音楽の処理ですね。ギターとお琴の混血のようなチターという楽器で、アントン・カラスが作曲し演奏もしています。音楽と映像の相乗的効果で雰囲気が一段と盛り上がります。
(ビデオ上映)
第二次大戦後、米英仏ソの4カ国の共同占領下にウィーンはありました。アメリカの三文小説家、ポリー・マーチンスが、かつての親友ハリー・ライムから「ウィーンに来い」と呼び出しを受けやってきたんですが、そのハリー・ライムは彼が到着する直前に交通事故で死んでおりました。しかしハリーの遺体を運んだのは二人と言われていたのですが、実はもうひとり第3の男がいたらしい。そのへんからハリーの死が偽装ではなかったか、という疑惑が持たれ、解明されていきます。ハリーはウィーンのただの闇屋ではなくて、大変インチキなペニシリンを闇に流して数多くの子供に悲惨な死を遂げさせていた大犯罪者であるということを、特に英軍の司令官からポリー・マーチンスは突きつけられます。とうとうポリーも当局に協力せざるを得なくなり、自分が囮になってハリーをおびき寄せるのです。
ここでハリー・ライム、オーソン・ウェルズが登場するのですがその登場の仕方がこの猫をうまく使いましたね。この猫はハリー・ライムが可愛がっていた猫だということがよく分かるのですが、足元にすがり付いて逃げないですね。まだハリー・ライムの顔は映りません。
ここでオーソン・ウェルズの顔が登場です。このジョセフ・コットンというポリーを演じている俳優はオーソン・ウェルズの劇団にいたんですね。ですから若いときから親交があったのです。オーソン・ウェルズが製作した「市民ケーン」にもこの2人が出ています。そして最後ハリーの恋人アンナの叫びでハリーは下水道に逃げ込みます。そしてついにポリーによって射殺されます。ハリー・ライムの今度は本当の葬式の日、ポリーはアンナを待つのですが、アンナは見向きもしないで去っていく、このラストがまた有名になりました。
これでこのシリーズ終わらせていただきます。なにかまたご希望ありましたらまた企画したいと思います。有難うございました。(拍手)
※ 上映作品の製作配給会社
※ 参考文献出版社
M.G.M
講談社
20C.FOX
新潮社
W.B
中央公論社
PARAMOUNT
岩波書店
R.K.O
秋田書店
U.A
キネマ旬報社ほか
東宝東和、他
文責(臼井良雄)
会場写真撮影
(橋本 曜)
HTML制作(和田節子)
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